柳 四郎の対論
本当のことを話そう・・報道しない自由を考える
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西洋列強の聖書と対比してどちらが優れてるか!!
国内政治全般
Re: senrigoma くんへ 2011/ 2/20 13:21 [ No.105375
senrigoma
折角だからlumiunoくんに対して返答してあげようw
riyushiro3987は嫌だよ。馬鹿だから。
もしもキミがriyushiro3987と同一人物なら無視してくれ。(笑)

柳 四郎
lumiuno=riyushiro3987です。 僕はIDも二つある・・HNも5つある。

senrigoma
なんだ。○○か。

柳 四郎
??○○か?
僕はすでに↓2000年からこの掲示板で論争してる。
http://r3928.fc2web.com/hiyousi1.htm

本居宣長は漢字の道が入ってくるまで・・日本に有った”みち”は・・人の歩く”みち”・・獣”みち”しかないと・・・はっきり書いてる!!
*******
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4434101765/ref=dp_image_text_0?ie=UTF8&n=465392&s=books
本居宣長の古道論―図書館で読み解く「直毘霊」
********
柳 四郎
だからこれは村岡典嗣↑の道徳論で本居宣長の論じゃあ無い!!

senrigoma
本居宣長の古道論と治道論,野口武彦1986.10筑摩叢書「宣長選集」解説
1 「道」に行く道
「直毘霊」は古事記伝の総論であり古道総論、「くず花」は同時代の儒学者市川多門の直毘霊批判に対する反批判の書、「玉くしげ」「秘本玉くしげ」は紀伊藩主の命に応じて書かれた治道論の書で、前者は原理論,後者は応用論。4編は宣長国学の巨大な業績のほんの一部にすぎない。
宣長は、学問諸分野の「主としてよるべきすじ」は「道の学問」であり、その「道」とは「皇国の道」で、それはさらに「天照大神の道にして,天皇の天下をしろしめす道,四海万国にゆきわたりたるたるまことの道なるが、ひとり皇国に伝われる」道である。その「古道」のすべては,記紀に記された「古伝の趣き」に明らかであると主張した。
それは「歴史的過去」=古道論であるとともに現在の社会をも規定する「時代を超えた原型」=治道論でもあるという二重性を持っていた。古道論と治道論が表裏一体となっている点に、後の国学が政治的なものに関わる問題性が包蔵されていた。
宣長は,京都に出て堀景山の塾にいるころ,「聖人の道は治国安民の道であって,私人である自分の預かり知ることではない」と友人に書いた。「道を行うことは君とある人の務めであって,もの学ぶ者のわざにあらず、われは道を考え尋ねることをつとめる」と明言した。
その後契沖を読み,真淵に師事して歌を学び、記紀を精読し、もののあはれ論をあらわすなど古道を考え尋ねて,後年「治道論」ができた。
2 「直毘霊」=宣長古道論の原点
直毘霊は、古事記伝の「道ということの論なり」=総論として執筆されたが,三種類の原稿が存在する。現行冒頭の「皇大御国は,かけまくもかしこき神御祖天照大御神の、御生れませる大御国にして」は、初稿では「大御国にもと道ということなし、美知はただ物へ行く路にして,山路野路などの路なり」であったという。始めは過激ではなかった。
中国では,やたら「道」と名づけてことごとしいが,上古日本では「道」をいい立てる=言挙げする必要がなかった。(木下説 なぜならいわなくとも行われていたからだということ!)そこに彼我の差があり,わが国の優越があるという。「物に行く路」とは具体的な道で,抽象的な意味ではないことを強調している。
この点は「神の道」についても同様であって、「神の道に従うとは,天の下治め賜う御しわざ」であって、歴代天皇の「御しわざ」としての「治道」は,単なる政事でなく「神代よりありしまにま」の古道を体現したものであった。王朝交替・易姓革命の中国との対比における,「天津日嗣が遠長に伝わりきませる」皇国の優越性が誇示された。
神学の展開において、マガツビノ神をやや唐突に登場させた宣長は、中国儒学の性善説に対し、「善き悪しきの万事みなことごとに神のみしわざ」であり、「神には善きも悪しきもありて、しわざもそれに従う」と、善神悪神共存論ともいうべき論を提示した。ただ「皇国の神の道」は、老荘のいうごとき「天地のおのずからなる道」ではなく、徂徠学でいうごとき「人の作れる道」でもない。「ミオヤノカミの始めたまいたもちたもう道」であって、人間でなく神によって創始された道で、その神は天皇の祖先神なのだから中国に優越するのであった。
道の趣意は,古事記などに記されているが、ことごとしく道などとして記されてはいないが、上古の事跡や習俗のすべてである。そのエッセンスは、「下なるものはただ上のおもむけに従いおること」。古伝の示唆する方向と,時々の君主の指示する方向が裏表であって、君主は古伝の示唆に,下のものは君主の指示に「ただおのずから」帰依することが,道の道たるべき所以であった。


柳 四郎
何処までも馬鹿だね~~

野口武彦・村岡典嗣の書いたものを幾ら読んでも・・・

本居宣長の論にはならないの!!

**********
神道とは惟神の道(かんながらのみち)であり、「ただあるがままを生きる。この世には人智を超えた神々の計らいがあり、その中をただ自然に生きることこそ大切」とも言われるが、その根幹にあるものは森羅万象や祖霊、死者への畏敬の念である。
**********

本居宣長=日本に道徳は無い・・唯・・・天照大神・・・天皇神・・・がある!!

本居宣長=天皇を本として・・愚だ愚だ言うな!!・・ことあげするな!!=論づる事さえ禁じてるのだ。

西洋列強・聖書・に対して・・・こんな天皇神を振りまわせるか?

野口武彦・村岡典嗣が困って・・・作り上げたのが国家神道だ!!

だが西洋列強の聖書と対比してどちらが優れてるか!!

「地をはうすべての生き物を治めよ」・・←この恐ろしい聖書の思想!!

神道とは惟神の道(かんながらのみち)であり、「ただあるがままを生きる。この世には人智を超えた神々の計らいがあり、その中をただ自然に生きることこそ大切」とも言われるが、その根幹にあるものは森羅万象や祖霊、死者への畏敬の念である。

**************
創世記1 (フランシスコ会訳)

27神はご自身にかたどって人を造られた。

28神はかれらを祝福して言われた、

「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、そして地を従わせよ。

海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を治めよ」。
***************

この違いこそ現実の↓世を照らしてるのだ!!

日本の植民地となった国々は今や貧困から脱出して・・世界に羽ばたきつつあるが!!

西洋列強の植民地となった国々は今や貧困からさらなる混沌へ向かいつつある!!


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